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 高岡と経済の関係

・読売新聞社と高岡

読売新聞北陸支社が高岡市にできたのは1961年5月25日。
 高岡高校出身の正力松太郎が1924年、「讀賣新聞社」(当時の名称)を買収し、
経営者となった経緯があるからだ。
 高岡市民の大多数が読売巨人軍のファンである。
読売会館

・「読売中興の祖」正力松太郎

正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年4月11日 - 1969年10月9日)は、日本の警察官僚、政治家で、読売新聞社社主を務めた。
 正力松太郎の経歴を簡単に説明すると、1924年、読売新聞の経営権を買収、社長に就任。 1934年、 大リーグ選抜チームを招聘、巨人軍創立。 1952年、日本テレビ初代社長に就任。正力松太郎は日本におけるそれぞれの導入を推進したことで、「プロ野球の父」、「テレビ放送の父」、「原子力の父」とも呼ばれる。
 のち1966年には高岡市名誉市民となる。ちなみに正力松太郎の生まれは、富山県射水郡大門町(現・射水市)であり、1965年に大門町名誉町民にもなっている。
正力松太郎